前々回で

でもおちょやんの父親は死ぬ間際には改心し娘の幸せを願って死んで行くのだけどこの辺が日本のドラマの弱いとこで最後まで娘を売り飛ばそうと企みながら死んでしまうひどい父親を描いて欲しかった なんて言ってるのは誤魔化し

最後まで娘を売り飛ばそうと企みながら野垂れ死んで行くような生き様を人様に見せるのがお前が生まれた役割だと思いながらドラマににげる弱さというより要するに自意識過剰なんだ自然体にすごく憧れる しぜんたいとは何ぞやなんて問わないのが自然体なんだろうなと思う

アメリカ映画というよりハリウッド映画というのはひたすらスーパーマンを撮り続けアメリカを世界のスーパーマンに仕立てたあげた張本人

むろんハリウッドはそんなことを意識して映画を作ったのではないけど結果的にそうなった いまさらそれが良かったのか悪かったのかを言っても詮無いこと

続きは次回